外野手の守備について各論を書いてみます。


外野に飛んでくるものは4つあります。
1:フライ
2:ライナー
3:ゴロ
4:味方野手の暴投

では、今回は1つ目のフライについて。

外野フライの捕球は簡単なようで難しく感じるものです。
打球を見ながら落下点を予測し、そこに走らなければいけません。

外野フライの守備でのポイントをいくつか挙げます。


「あらかじめやること」
太陽や雲の位置を一応見ておくといいです。重なってエラーすると悔しいですからね。
ランナーやアウトカウントも確認しておきましょう。タッチアップの可能性は要チェック。


「打球が飛んだら」
落下点が分からない場合はまずバック、これが原則です。
周りの野手が「前」とか「バック」とか指示しましょう。
慣れてくると打った瞬間に反応できます。落下点が予測できたら、後ろから回り込むように捕球しましょう。


「捕球後」
ランナーがいない場合、内野にゆっくり返球すればOKです。
ランナーがタッチアップする可能性がある場合、素早く内野の中継まで返球しましょう。
明らかにタッチアップする状況(1死3塁のセンターフライなど)であれば、迷わずバックホームしましょう。中継をするかの判断は送球を見て内野手がするといいと思います。


「捕球できなかった場合」
これは焦る場面ですが、まずボールを全力で追いかけて拾いましょう。
どこに投げるべきかは周りの野手が大声で指示するといいと思います。


「特殊なケース」
内野と外野の間にフラフラーっと上がった打球は、場合によるので一概には言えませんが、体勢的には外野手が捕るといいです。
右中間、左中間のフライは外野手二人で追い、一人が直接捕球しに行き、もう一人は後ろに回ってカバーをしましょう。


外野手は内野手に比べて守備機会は少ないポジションですが、ひとたびエラーをすると高い確率で失点につながります。堅実な守備が求められますな。

ということでワタナベ初投稿でした。

捕手(2)〜絶対領域〜

ホームベースという奴はものすごく残酷だ。なかなか子離れしないくせに、なかなか里帰りを認めない。自らを子供に踏ませるただのマゾかと思いきや、良し悪しの判断は全て自分が基準。自分だけ特別な存在だ!と言わんばかりの形もまた嫌らしい。そんな様々な面を持つホームベースの番人が、そう、捕手だ。



先日の練習後、非常に興味深い話を聞いた。女子高生という生き物の「靴下より上、スカートより下」の部分を最近巷では「絶対領域」と呼ぶらしい。帰りの電車ではその「絶対領域」が気になって気になって仕方が無かったのだが、それについて詳しく語ってしまうと話が逸れてしまうので控えよう。勘違いされると困るのだが、基本的に僕は女子高生が大好きなのである。高校生相手のバイトをしているのだが、やっぱり女子高生は面白い。って逸れたね。



簡単に言うと、「絶対領域は広ければ広いほどいい、できれば上半分より下半分の割合を重視したい」そう思っていたのだ。が、気が変わった。もちろん日本人的な淑やかさのようなものは昔から大好きだ。外人ポルノより日活ロマンポルノの方が好きだ。全裸よりも部分部分が隠れていた方が色っぽい、これはやはり正しい。ただ、女子高生という「若さ」を前面に押し出した人種について考えた時には、やはり「若さ」を前面に押し出すべきではないか、と以前は考えていた。パンツ?見せたいんでしょ?いいじゃん!という具合に。それが、ふとした瞬間に「若さを前面に押し出す≠絶対領域を広げる」という単純なことに気付いてしまったのである。まだまだ修行が足りぬ・・・と、なんだか話が逸れがちなので、唐突だが結論から書こう(ちなみにここまで余談)。



絶対領域=ストライクゾーン」



これである。左右こそ規格(体型・太さ、ホームベース)にある程度決められてしまっているが、上下は個人の意思によって変えられるのだ。個人というのは打者・捕手がそれにあたる。打者の絶対領域(好み)を見極め、その「絶対」を崩壊させる、これが捕手の仕事「打者との駆け引き」の中で最も面白いところの1つだ。


①いかに高め・低めの怪しい球を振らせるか


さらに、捕手にとって最も重要とされるのは「捕る行為」であるということは先に述べた。次に考えなければならないのは、「どう捕るか」だ。そう、次の敵は校則である。抜き打ちチェックに備えたスカート丈でなければならないのだ。


②いかに怪しい球を審判に「ストライク!」とコールさせるか


この2点が、捕手がストライクゾーンを「使う」上で最も気を使うべきポイントであろうと思う。捕手の視点では「広く、広く」、逆に打者の視点では「広からず狭からず」が一番理想的なのだろう。そう考えると、捕手は同時に打者にもなるのだから「捕手としての絶対領域」と「打者としての絶対領域」を両方持たなければならないわけだ。捕手のそれを打者のそれにまで使うと当然打撃は悪くなる。逆も然り。2つの領域を使い分ける、こんな面倒なことはない。多重人格のホームベース氏、彼の番人もまた多重人格にならざるを得ない。


と、ここで1つ気になったことがある。女子高生を見るときは「捕手」として?それとも「打者」として?ううん、話としては両方の視点を持つべきなんだろうが、考えてもイマイチよくわからない。ということは、だ。もしかしたら自分はそんなに女子高生が好きではないのかもしれないぞ。低めから高め・・・ここ、こ、これぞストライクゾーンの変遷?!



本当にありがとうございました。

練習(1)

練習。
言葉にするのは簡単だが、各々の意識差があまりに大きい。
そもそも何のために練習をするのか。速い球を投げたいから?本塁打を打ちたいから?
たしかに、そういった欲求は大切だと思う。しかし、具体的にテーマを持って練習している人は何人いるだろう。
練習でできていることですら上手くいかないことがあるのが本番だ。
練習でできていないことが、試合でできるはずがない。もしできてしまっても、それはまぐれ以外の何物でもない。
まずは試合を振り返り、自分なりに課題を見つけておくことが必要だ。
課題となるものは大抵「悪い癖」という言葉で表されるものが多い。その癖を直すためにはどうしたら良いか。
試合でいきなり意識して直るなら、今頃世界中が10億円プレイヤーだ。つまり、練習での意識が重要になってくる。
それも過剰なくらいでちょうど良い。全部正面で捕ってみよう、全部上投げで送球しよう、肩の開きを抑えよう、外の球をおっつけてみよう、など。
練習で基本ができて初めて、試合でとっさに出た応用が上手く行くのではないか。
さて。以上が個人ごとの意識であるが。もっと重要なのはその練習における自分の役割であると考える。
たとえば打撃投手。打撃投手は打たれることが仕事であり、打者への投球は自分の投球練習ではない。
きわどいコースではなく、確実にストライクゾーンへ投げ、打者に気持ち良く打ってもらうことが目的である。
打者も、自分が何か課題を持って練習に望んでいるなら、それを打撃投手に伝えるべきである。
変化球をまぜるのか、直球だけなのか。外か内か。高めか低めか。など。
それによって打撃投手の制球力も上がり、結果的に投球練習にもなる。
意識を持ってやらないと、いくら練習しても上達はしないのではないか。
このあたり、他のメンバーがどう考えているか知りたい。
携帯のコピペ機能使ってるので、途中文章おかしかったらごめんなさい。

団体競技としての野球 〜1〜

 昨日までとは違って、今日は野球という競技の性格について書いてみることにする。
 野球とは言うまでもなく団体競技である。草野球でもプロ野球でも、レベルの差に関係なく1チーム9人が集まらないとゲームが出来ないのだ。テニスやゴルフ等とは明らかに性格が違うのである。しかし、違いはゲームそのものだけではなくゲームの前後にも現れる。テニスやゴルフは試合こそ開始時間が決まっているものの、基本的には試合開始までに試合が出来る状態でいることが出来ればそれまで何をしていても問題ないし、試合後帰る時間も自由である。では、野球でそのような融通が各自に利くものであろうか?答えは「否」である。団体競技ではまず全員が決められた時間に決められた場所で集合し、試合前の打ち合わせ・練習を全員で行わなければならない。もし仮に一人でもそれを拒む選手がいれば、チームは本来あるべきチームの姿ではなくなってしまう。そして、試合後もその試合の反省や研究を全員で行うことが必要になってくる。
 ただ、これまでに述べたような事を毎試合全員が完璧に行うというのは現実的ではないだろう。CHAOSには上は社会人から下は大学生を通り越して高校生までが所属するのだから、個々の予定がぴたり合致する可能性は他のチームよりかなり低い。チーム名もそれを如実に物語っている。CHAOSでは上述の中で行えることを確実に行うことが必要であると私は考える。試合への参加や試合後のミーティング等は(参加出来るなら出来るだけするべきだが)個々の予定によって融通を利かせることが必要となるであろうが、試合参加の意思表示連絡や試合前の集合時間・その打ち合わせの実行等は全員が遵守すべきことであると思う。
 
 また、今年度から私がマッチメイクやサイト管理に少し咬むようになって感じたのは、マッチメイクやサイト管理の大変さである。勿論、だからといって全員ですべきことではないし、それらをしてくれている麻生さんや林などもそれに関して恩を着せるつもりは全く無いであろう。ただ、チームの経営や管理に直接関わらないメンバーの、それをしている人への気遣いはもっとあっていいのではだろうか。試合や練習の日程を決める際にその期限直前まで何の連絡もしなかったりサイトに載せる記事の寄稿をしないのに試合だけは来る、というのはいかがなものかと思う。もし忙しくて予定がわからない場合はそう連絡してもらえるとマッチメイクする側も助かるのである。
 練習をすることもチームを強くする手段ではあるが、そのようにチームがチームとしてよりよく機能するよう個々が尽力することも同じくらいチームを強くするのではないだろうか。

 (今日、練習をしてきます。みなさま忙しいとは思いますが、練習にかかる経費も試合同様に部費から出されるので、時間があれば是非練習に参加しましょう!)

捕手(1)〜悲しみの先に〜

キャッチャーは悲しいポジションである。彼は、鉄仮面を顔にはめられて、いつも便所で用を足すときのようにしゃがんでいなければならない。そして、そのままのポーズで、大男が力一杯叩きつけてくる皮のボールを、両手で受けとめる刑に処せられなければならないのである。1ゲームに百回以上、皮のボールが叩きつけられ、手はハレあがる。
キャッチャーのそばには、バッターという名の見張り番が、棍棒を振り上げて経っていて、キャッチャーがボールを受けそこなうことがないように監視している。他の八人の野手たちは、緑の芝生の上をウサギのように自在に跳びまわることができるが、キャッチャーだけは、土の上にチョークでかこまれた領域を出ることができない。それは、野球のルール(守備)における、もっともサディスティックな役割である。
しかし、私はキャッチャーが好きだった。一見忍従しているように見えながら、その実はゲーム全体を支配し演出することができるのが、キャッチャーの特権だからである。鉄仮面のうしろで、にんまりとほくそ笑みながら、ピッチャーに暗号を送り、ナインに号令し、「捕殺」し「刺殺」する男。
派手さのない実力者、というのがぴったり私の好みにあっていた。(寺山修司「スポーツ版裏町人生」より)



捕手とは「捕る人」と書く。字面どおり解釈すれば、捕手の最も大切な仕事は「白球を捕る」ことにある。大渕も書いていた「球際の強さ」が最も求められるポジションである、とも言えよう。
そういえば、いつだったか扇千景女史が「ほしゅぴたる」というCMで一世を風靡したことがあった。昨今の日本、特に政治面において「保守」という言葉は様々な捉えられ方をされてしまっているが、その本義は「守り保つこと」にある。何かを守り保って行くには、時流を読む力と大局観を身につけ、剛柔を使い分けることが大切の事となるだろう。野球についても同じだ。保守と捕手は紙一重、読み方が同じなら意味もまた然り。本塁を、そして試合を守り保つ。これぞ捕手の本質と言えはしまいか。


本塁を守り保つには忍従が、試合を守り保つには演出が求められる。五画形に込められた意味は、深い。

外野手(1)

外野手に最も必要なものは何か。

それは肩でも、コントロールでもない(そういうわけでもないが。)。
私が4年間、大学でひたすら磨き続けたものは、打球を最後まで諦めないという極めて単純なことだ。

外野手にとってワンプレーでアウトにできる方法といったら、捕殺と刺殺があるが、刺殺というのは中々その状況というものが巡ってこないもの。だからこそ、外野手はとにかく捕殺できることが重要になってくる。凡フライなら兎も角、強烈なライナーやヒット性の当たりを捕殺にすることは、チームにとって流れを変えるワンプレーになるのだ。

では、なぜ諦めないことが大事なのか。

それは球際での勝負強さを養うためであると私は考える。

捕れないと思ったボールを捕れるケースはあまり多くないといえよう。なぜなら捕れないと思ったらボールが落ちた後のことを考えてしまうからだ。もちろん、落ちた後の次のプレーも大切になるのだが、やはりまず、絶対捕ることを心がけたい。それが自ずと守備範囲を広げていくことになり、捕れるかどうかの局面で捕ることができる感覚を作り出すのだから。

練習をする時は、必死にボールを追って見ると良いだろう。そこで徐々に見に付いていくものがあったら、それは必ず試合に生きてゆくと言えるだろう。