捕手(1)〜悲しみの先に〜

キャッチャーは悲しいポジションである。彼は、鉄仮面を顔にはめられて、いつも便所で用を足すときのようにしゃがんでいなければならない。そして、そのままのポーズで、大男が力一杯叩きつけてくる皮のボールを、両手で受けとめる刑に処せられなければならないのである。1ゲームに百回以上、皮のボールが叩きつけられ、手はハレあがる。
キャッチャーのそばには、バッターという名の見張り番が、棍棒を振り上げて経っていて、キャッチャーがボールを受けそこなうことがないように監視している。他の八人の野手たちは、緑の芝生の上をウサギのように自在に跳びまわることができるが、キャッチャーだけは、土の上にチョークでかこまれた領域を出ることができない。それは、野球のルール(守備)における、もっともサディスティックな役割である。
しかし、私はキャッチャーが好きだった。一見忍従しているように見えながら、その実はゲーム全体を支配し演出することができるのが、キャッチャーの特権だからである。鉄仮面のうしろで、にんまりとほくそ笑みながら、ピッチャーに暗号を送り、ナインに号令し、「捕殺」し「刺殺」する男。
派手さのない実力者、というのがぴったり私の好みにあっていた。(寺山修司「スポーツ版裏町人生」より)



捕手とは「捕る人」と書く。字面どおり解釈すれば、捕手の最も大切な仕事は「白球を捕る」ことにある。大渕も書いていた「球際の強さ」が最も求められるポジションである、とも言えよう。
そういえば、いつだったか扇千景女史が「ほしゅぴたる」というCMで一世を風靡したことがあった。昨今の日本、特に政治面において「保守」という言葉は様々な捉えられ方をされてしまっているが、その本義は「守り保つこと」にある。何かを守り保って行くには、時流を読む力と大局観を身につけ、剛柔を使い分けることが大切の事となるだろう。野球についても同じだ。保守と捕手は紙一重、読み方が同じなら意味もまた然り。本塁を、そして試合を守り保つ。これぞ捕手の本質と言えはしまいか。


本塁を守り保つには忍従が、試合を守り保つには演出が求められる。五画形に込められた意味は、深い。